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【日本とGHQの塩にまつわる物語】

〈もくじ〉

1.戦後GHQの行動

2.GHQが日本人について気づいた事

3.日本人から取りあげたもの

4.塩のお話

5.マハトマ・ガンディー

6.まとめ

1.戦後のGHQの行動

戦後アメリカは日本人はなぜこんなにも強かったのか?という事を日本に入り込み研究をし始めました。

GHQは皇居近くの現在の帝国劇場の場所に本部を構え、CIE(民間情報教育局)という機関に日本の強さについて調べる様に命令しました。

2.GHQが日本人について気づいた事

日本人は神社を中心とした国家神道のもと、狂信的な人種であるとCIEはGHQへ報告しました。すると「日本中の神社を全て燃やせ」という事になりました。

燃やす前に実態を見ておこうという事で新嘗祭を見てみようという事になりました。

埼玉県の中氷川神社に白羽の矢が当たり、3日後に新嘗祭を見せろという無理難題を押しつけられる事となりました。

山口文治宮司(当日60歳)は最初は断りましたが、日本全国の神社が燃やされては困るというプレッシャーのもとに引き受けました。

巫女さんに危険が晒されるのではという心配もありつつ、無事に新嘗祭が執り行われました。

新嘗祭を見たGHQは、ファシズムやナチズムといった全体主義的な施設とは全く異なるものだと実感し、焼かれる事になりませんでした。

しかし2週間後、神道指令という命令が出て日本の神社にある物を1つ1つ法律で潰していく方針を出しました。

3.日本から取り上げた物

神棚にある物を考えてみて下さい。

①塩 ②酒 ③米 ④水 ⑤大麻

これらの物を日本人から取り上げていく動きをします。日本人の弱体化計画が始まります。

①の塩については、後ほど詳しくご説明します。

②「酒」

アルコールのいうのは、血液脳関門といって唯一脳に関門を通過する事が出来ます。

人間は、微生物の集合体で微生物が喜ぶのはアルコールです。日本人は昔からどぶろくを飲み、村人達とも一致団結するという意味でも大切な物でした。

そこで「どぶろく禁止令(明治32年~)」を出し、調和を取りづらくしました。自分達でお酒を作ることが出来なくなりました。より安く出来るアルコール、第3のビールやストロング缶などが出回り、おかしなアルコールが血液脳関門を通って脳に供給してしまい、おかしなストレスをかかえてしまっている状況です。

③「米」

小学校の給食をパンにした(米飯禁止)。

子供の頃に小麦を食べさせると、大人になっても小麦を食べる様になるだろうという考えです。アメリカに小麦が多く余っていたという事情もあって売りつけたい点もあります。減反政策を出し、米の生産を抑えるようにしました。

本来、日本人は、気候・地場などから米が1番相性が良いものなのに小麦に移行させ本来の力を発揮させない様にされてしまいました。

④「水」

日本はご先祖さまが木を植え続けてくれた為、潤沢な水があります。豊かさであり、気持ちの余裕があり、縄文時代から平和な国として成り立っています。

そこで水を減らすアメリカの行動として、単一植林(スギだけ)やダムの開発等で日本中から「湧き水」が消えていく結果となっています。

⑤「大麻」

世界中のシャーマニックな儀式で大麻は使われていて、神社でのお祓いの効果をなくす為にも「大麻取締法」という法律をつくりました。

また、石油で作れる物はほとんど「大麻」で作れるという事も禁止した理由の1つにあると思います。大麻で服も蚊帳も作る事が出来ます。

石油はドルでしか買えないという事もあり、大麻禁止もアメリカの為といえると思います。

神棚のアイテム5つの他にも日本人の弱体化の為の事として、⑥旧暦から新暦(グレゴリオ暦)へ、⑦日本語を外来語や英語へ⑧純正律から平均律へ という事も変えられています。

旧暦の暦で雅楽の波長(純正律)で、大和言葉でお祈りをしなければ全く意味をなさず、天には通じないとされています。

4.塩のお話

「塩抜きの刑」というものをご存知でしょうか?

昔から古代ローマ時代からあるものです。

日本でも江戸時代の拷問で「塩抜きの刑」というものがあり、牢屋で5日間塩を抜いてみたら心身共に衰えて特に気力が失せて、どうなっても良いという気持ちになる。この時に尋問を始めれば誰でも自供する(作家、司馬遼太郎さん記述)とあります。

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塩というのは気力で【気】というエネルギーです。相撲でも土俵に塩をまくのは、ケガレを無くすものですが、塩が無ければ【気枯れ(ケガレ)】てしまうので気を満たす為に塩をまいているという事です。

塩の歴史として1905年、日露戦争の戦費調達を理由に塩の専売制という物が開始され、廃止されたのは1997年。完全に塩の自由化がされたのは2002年のことです。

塩専売制公社からしか塩を買えないという状況が続いていました。1905年から1971年までは、昔ながらの塩田から作られる製法の塩だった為、微量ミネラルたっぷりの海塩でした。

それが1971年からは日本中の塩田が禁止され「イオン交換膜」で作る精製塩(99.9%ナトリウム)しか買えない国になってしまいました。

本来はマグネシウム、カリウム、鉄、亜鉛など微量でも入っていた「塩」だったものが99.9%ナトリウム塩しか買えない状況になってしまいました。

「イオン交換膜方式」とは、ナトリウムだけを透過する膜を用いて塩水の中に膜を入れ電流を流し、電気分解をして大量生産をする方法です。太陽の日差しと風力だけで乾燥させる天然塩(天日塩)とは、真逆の製法です。ミネラルはほぼゼロです。

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なぜ1971年にそうさせられたかというと、安保闘争の時期に日本が中国と国交正常化にアメリカは反対していましたが、日本は中国と国交を結びました。そこでアメリカとしては、アジアで組んで強くなるのは困るという背景もあると思われます。

ここから日本人は気づかないうちに、26年間も塩抜きの刑に処されていたのです。

唯一、この期間海塩を採れたのは沖縄でした。直接統治だからか米兵を守るためか分かりませんが、、、。

この時期は沖縄の人が一番の健康長寿であった事は、納得できます。また、高校野球でも甲子園で活躍したいたのは沖縄県勢だった事もうなづけます。

最近、YouTubeで刑務所から出てきた初日に食事をする所を追いかける動画を観ました。何人か追いかけて撮っているのですが、共通して「刑務所の食事は塩分が少ない、だからシャバの食事が旨すぎる!元気が出る!」と皆言っていました。やる気を失くす為の支配者の手法は全世界共通で「塩抜き」という事です。

5.マハトマ・ガンディー(塩の行進)

イギリスの植民地にされていたインドは、塩の専売制をしかれていました。1930年の事です。自由に塩を作る事が出来ず、高い塩をイギリスに買わされる状況でした。

そこでガンディーは、非暴力・不服従運動を行います。ガンディーはあえて法律を破り、海水から塩を作る作業を行う為、各地の海岸を訪れ至る所で大群衆が集まり、塩の製造が始まります。そして外国商品のボイコット、植民地方への不服従、ストライキを訴える行動に繋がりました。

イギリス当局は激しい暴力的弾圧を加え、ガンディーをはじめ10万人を逮捕します。

しかし、運動が激化しイギリス当局の手に負えなくなった為、翌1931年にようやくイギリスの塩の製造の許可、政治犯の釈放など表明し運動は中止されました。

ガンディーは誰よりも塩の重要性、大切さという事を知っていたのだと思います。

6.まとめ

私はアメリカ人を憎んだり、恨んだり、抗議したいなどという気持ちは一切ありません。

アメリカとしても時代背景もあるでしょうし、本来の日本人の能力を発揮される事への恐れがあったのだと思います。

戦後、日本人の力を封印された事柄が何か、という事に気づいた以上、皆で取り戻していく行動が出来れば良いと思っています。

塩については、今までの精製塩・食卓塩が安価だし慣れているから という事ではなく、健康の為にも気力の為にもミネラル豊富な塩を摂ってもらいたいと願っております。

日本人を元気に、本来の姿を思い出す為に私の出来る事として塩については日本に貢献できると思っております。

自殺大国といわれる日本に自殺者を少しでも多く減らしていく行動に繋がればと思っています。

精製塩の摂りすぎは、体に良くないという事は分かります。ミネラル豊富な塩は必要な物と考えています。

入院中の人が口内炎が治らないと言っていましたが、海塩を差し入れて舐めてもらったらすぐに治ったという事もあります。

昆布塩を作る工程は大変な部分もありますが、食べる人の健康の事を思えばやり甲斐のある作業です。

一人でも多くの人に、当店の昆布塩をお届け出来ればと願っております。